古事記 序
古事記の序に入る前に少しイチャモンをつけます、というよりも突っ込みどころがあります、素人の私が言うのですから本当はこの時代では正しいことなのかもしれません、しかし普通に考えると「おかしいよなぁ」というところがたった千文字くらいの序にいくつかありますので先にそれを紹介します。
古事記の紹介にありますように、古事記には序があります、この序なんですが実に不思議で文章として独立していません。(いきなり喧嘩腰です)この序というものを定義すると以下になります。 序とは、詩文や書物のはじめにその述作の趣旨などを述べた文章。はしがき。序文。叙。とあります。(日本国語大辞典 第3義) すくなくとも時の権力者「天武天皇」の詔ではじまって「元明天皇」に撰上されるという(詳しくは古事記の紹介を参照願います)最高の書物であるはずなのに、”その体に少々難あり”の感がぬぐえません。真贋のほどに言及できるほどの知識や研究実績なんぞ微塵もありませんのでそれはおいておくとしても素人の私にも不自然にみえるこの書き出しをご覧ください。 冒頭のタイトルに【古事記上巻】とありその下に不自然に小さく【序并】とあります。
読み方は「ふることふみ かみつまき」「じょをあわせる」です。なぜかとってつけた感じが拭えません、もしも私が仕事でこの書き方の報告書を提出したら間違いなく突っ返されたでしょうし部下が提出してきたら真ん中に不受理のハンコを押して丁寧にお返しすると思います。^^;
もしもこの序が本物だとするなら原本を忠実に写したとは思えない(個人の感想です(笑))書式です。 さらに先ほど序が独立していないと書きましたが、序の最後に日付と官位と名前が書いてありますがこの後改行も空白もなくいきなり本文を書きだしています。
まねをして書いてみますと
誠惶誠恐頓首頓首和銅五年正月廿八日正五位上勲五等太朝臣安万侶天地初発之時
黄色い部分が序文の最後です。緑の部分が日付と署名です。ピンクの部分が上巻の書き出しです、みごとに全部つながっています。(下が原文です)
当時句読点をうつことが無いとしても不自然ですね、タイトルのところに序を并と断っているのだから序がある事はわかっています、ですから序の文末と日付・官位・名前がセットであるとしても最低でも改行するべきではないでしょうか。 さらに何の断りもなくサラッと本文に入っていることが理解できません。少なくともこの部分だけでも改行してキチンと上巻本文であることを表さなければならないはずです。 なぜこんな雑に書いたのかわかりません。
百歩譲って、冒頭に大見出しで(タイトル)古事記上巻と書き、序も一緒だと書いてあるのであとはひたすら上巻を記述していきます。という気持ちで書いたとするなら文章として成り立つのでしょうがそれを天皇に撰上する書物でするとは考えにくいです。
つぎのネタにいきます。 これはふつう解説書だけを読んでいると気がつきません、私も序の最後の書式がおかしいと思い原文を見ているときに気がついた大きなバグです(笑)。
古事記の原書が見つかっていない以上何とも言えませんが写し間違えだと思いたいような記述です。
中巻大雀以下小治田大宮以下為下巻(コラムの画像参照)
大雀(オオサザキ)いか小治田大宮(オハリダオオミヤ)下巻となす もしこれが意図的に書かれていたとしたら由々しきことです。 大雀とは前後の文脈を見るまでもなく「大きいスズメ」ではありません、古事記本文では大雀皇(オオサザキスメラミコト)と記述される天皇のことで十六代仁徳天皇のことです。 この次にある小治田大宮というのが三十三代推古天皇のことです。現代でも皇太子殿下のことを「東宮」(トウグウ)と呼ぶことがあるように直接名前を書かないでその御殿を呼び名にすることがあります。推古天皇が亡くなったのが628年で古事記執筆時の712年の時まで80年あまりしかたってなく諡号である推古天皇と呼びにくかったのかも知れません。
それはともかく話を「大雀」にもどしましょう、ここ普通なら大雀命や大雀皇とするべきところ呼び捨てています。現代でいうなら現天皇を徳ちゃんどころか徳仁(なるひと)と呼び捨てにしているようなものです。現在では罪に問われませんが、たった80年前ですと不敬罪という罪に問われるものでした。
解説書を書かれるぐらいですので当然原文は読んでおられると思いますが、この呼び捨ては無視されています。おそらく古事記伝を出典とされているのだと思います。
古事記伝ではここは「大雀皇帝」となっています。本居宣長が補完したと言えば聞こえがいいのですがもともとなかったものを安易に補ってはならないと思います、なぜなら下巻の冒頭にあろうことか聖帝と呼ばれる仁徳天皇を「大集」と呼んでいます。これを見る限り序の大雀と呼び捨てにしたのは意図的であると考えられその意図を汲み取るのが研究であって安易に補完して丸く収めるべきではないと思います。
序の入り口でもう突っかかってしまいました、実はまだこの後も色々イチャモンをつけようと思っています、ですがまだ序の説明を1ミリもしていないことに気が付いてしまいましたので説明が進んでそれぞれの箇所で文句を付けていきたいと思います。
素人がずいぶん突っ張って大口をたたいていますが、やっぱり疑問は疑問です。しかし悲しいかなその答えを考える能力はありませんしひょっとしたら求めても得られないのかも知れません、歴史の彼方からよみがえった真福寺写本古事記が日のめを見ることはいいことですがこれが真実を語ることはないのかもしれません。 逆にそれだからこそ私のような素人が入り込み「あーでもない・こーでもない」と言いたいことが言えるのかもしれません。 オット序の説明をしようと思ったのに序の序が思いのほか長くなってしまいました、今更の感が拭えませんが急いで(チャッチャと)書いていくことにします。
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