(7)果てしなく続く子作り
大八洲の国を作ったのち伊邪那岐命と伊邪那美命は天津国に還りました。
還ってもう終わりかというとそうでもなく、この後もひたすらに子作りに励みます。
つぎに産んだのが【吉備児島(きびのこじま)またの名を建日方別(たけひかたわけ)】
つぎは【小豆島(あずきしま)またの名を大野手比賣(おおのてひめ)】
つぎは【大島(おおしま)またの名を大多麻流別(おおたまるわけ)】
つぎは【女島(めしま)またの名を天の一根(あまのひとつね)】
つぎは【知訶島(ちかのしま)またの名を天之忍男(あめのおしお)】
つぎは【両児島(ふたごのしま)またの名を天両屋(あめのふたや)】
ここで産まれたのは六つの島で全部二つ名の島です。
この内現在場所が特定もしくは推定されているのは吉備の児島・小豆島・知訶島・両児島です。
吉備児島は現在の岡山県の吉備半島で1618年に岡山藩に干拓されるまで島であったことがわかっています。
小豆島は説明を省きますが現在と同じ字で「しょうどしま」ではなく「あずきじま」です。
知訶島は「肥前風土記」の値嘉島から長崎県平戸の西の島々と推定される。
両児島はこれも長崎県五島列島近くの男女群島か天草をさすと推定される。
大島と女島は各地に多くありすぎて特定には至っておりません。
ここまで大小取り混ぜて14の嶋を産んだ伊邪那美命ですが、これはほんの序章でここから
またまた怒涛の出産ラッシュが始まります。