(9)帰れ伊邪那美命
神様の頭数が合わないことを私の足りない頭で考えても多分時間の無駄だと思いますのでどなたかに考えていただくことにして、つぎに行きたいと思います。
その前に現状のおさらいをします、神様がバンバン現れて最後に伊邪那岐命と伊邪那美命が頑張って島を十四と神様四十一人こさえました。伊邪那美命が最後に産んだ火之迦具土神によって大火傷を負い亡くなってしまい黄泉の国へ行ってしまいました。
さてこの後の展開ですが、伊邪那岐命は嘆き悲しみとんでもないことをやらかします。
【於是伊邪那岐命拔所御佩之十拳劒 斬其子迦具土神之頸】
ここに伊邪那岐命みかはしのとつかの剣(長い刀)を抜きて その子(火之)迦具土神の首を斬りたまいき。
とあります、せっかく伊邪那美命が産んだ子供を殺してしまいます。ひどい親だ。
ここから若干スプラッターの世界ですので、その方面の苦手な方は飛ばした方がいいかもしれません。
「その御刀(みたち)の前(さき)の血は湯津石村(ゆついわむら)まで飛んで そこで成った神様が石柝神(イワサクノカミ)つぎに根柝神(ネサクノカミ)つぎに石筒之男神(イワツツノオノカミ)と言います。」
ここで確認です、伊邪那美命が産んだまたは関係した神様は前述のとおり四十一人でしたこの後に出てくる神様は伊邪那美命には直接関係のない神様です。
いくら伊邪那美命の子供の首を斬った血しぶきから生まれて文字どおり血のつながりがあるように見えても実際には手を下したのは伊邪那岐命であって親子関係は伊邪那岐命だけと言えます。ここを押さえておくとあとの須佐之男命のときに若干の矛盾がわかります。
次著御刀本血 亦走就湯津石村 所成神名甕速日神
次樋速日神
次建御雷之男神 亦名建布都神 亦名豐布都神
つぎに御刀の本(もと)の血が湯津石村に飛んで成った神の名は甕速日神(ミカハヤヒノカミ)
つぎに樋速日神(ヒハヤヒノカミ)
つぎに建御雷之男神(タケミカツノオノカミ)またの名を建布都神(タケフツノカミ)またの名を豊布都神(トヨフツノカミ)という
次集御刀之手上血 自手俣漏出 所成神名 闇淤加美神
次闇御津羽神
上件自石拆神以下闇御津羽神以前并八神者 因御刀所生之神者也
つぎに御刀を握った手の指の間から漏れ出た血より成った神の名は闇淤加美神(クラオカミノカミ)
つぎに闇御津羽神(クラミツハノカミ)
上記 石柝神から闇御津羽神までの八人の神様は御刀から成った神なり
神様の名前ばかりでおもしろくもなんともありませんが、もうすこし我慢してください。
一気に行きます。
所殺迦具土神之 於頭所成神名正鹿山津見神
次於胸所成神名淤縢山津見神
次於腹所成神名奧山津見神
次於陰所成神名闇山津見神
次於左手所成神名志藝山津見神
次於右手所成神名羽山津見神
次於左足所成神名原山津見神
次於右足所成神名戸山津見神
自正鹿山津見神至戸山津見神并八神
故 所斬之刀名謂天之尾羽張 亦名謂伊都之尾羽張
(火之)加具土神を殺した所の頭の所から成った神の名は正鹿山津見神(マサカヤマツミノカミ)
つぎに胸から成った神の名は淤縢山津見神(オドヤマツミノカミ)
つぎに腹から成った神の名は奥山津見神(オクヤマツミノカミ)
つぎに陰(ほと)から成った神の名は闇山津見神(クラヤマツミノカミ)
つぎに左手から成った神の名は志芸山津見神(シギヤマツミノカミ)
つぎに右手から成った神の名は羽山津見神(ハヤマツミノカミ)
つぎに左足から成った神の名は原山津見神(ハラヤマツミノカミ)
つぎに右足から成った神の名は戸山津見神(トヤマツミノカミ)
正鹿山津見神から戸山津見神まで合わせて八人の神様です
切った刀の名は天之尾羽張(アマノオハバリ)またの名を伊都之尾羽張(イトノオハバリ)というそうです。
もう神様だらけというかここまで神様を作らなければならなかった意味を考えていきたいのですがおなかがいっぱいですのでもう少しあとで考えてみたいと思います。
それより火之加具土神は男の子とばかり思っていましたが陰(ほと 女性の外陰部)とありますので女の子だったことがわかります。正直言って意外でした。
というのも火之加具土神は名前を三つ持っています、最初に火之夜藝速男神(ヒノヤゲハヤオノカミ)二番目は火之炫毘古神(ヒノカガビコノカミ)で最後が火之加具土神です。
夜藝速男神どうみても男の神様の名前です、炫毘古(かかびこ)の「ひこ」は男をさします。
ですから最後の加具土神も男の名前だと思っていました。性別のない独神ならいざ知らず
すぐ後で女性器を意味する陰(ほと)に現れた神を紹介しているので女神だと言えます。
ただこの陰という表現は伊邪那美命のときには美蕃登(み ほと、美しい女性の外陰部という意味で翻訳は御陰部としました)と表現してありましたが、火之加具土神は単に陰(ほと)だけで、伊邪那岐命の思い入れのすごさがわかります。
この加具土命神は産まれた時はこの前述の順番で名前が書かれていますが話が進むと最後の火之加具土神の名前だけが使われさらに火之が削られて加具土神となっているのが気になります。
これまでに現れましたそれぞれの神様にはそれぞれのお仕事の担当があるのでしょうが、私にはそれを読み解く能力がありませんので、しれっとシカトします。
神様殺人イエ殺神(さつじん)の後、伊邪那岐命は愛しい妻、伊邪那美命のもとへ出かけます。そこは黄泉の国で死んだものの行く国です。その門前についた伊邪那岐命は伊邪那美命を呼び出し「まだ先輩神様にいわれたミッションが終わってないこと」を告げ一緒に元の国へ帰るよう頼みました。
すると伊邪那美命はもうすでにこちらの国の食べ物を食べてしまったので帰ることはできないと言いました。
そこを曲げて一緒に帰って欲しいと頼むと「分かりましたこちらの神様に聞いてみましょう」
と言いさらに「私が戻るまで決して中に入ってはいけません」と言い残し門の中に入って行きました。
でました「お預けです」この話を読んで私がまっさきに思いついたのが「鶴の恩返し」です。
おそらくこの日本民話を知らない方はおられないと思います。
若者または翁が罠にかかった鶴を助ける➡︎大雪の日にキレイな娘が訪ねてくる➡︎何日も雪に降り込められる➡︎若者の場合は妻に老夫婦の場合は娘になる➡︎布を織る、このとき織っている姿を見てはならないと言う➡︎布を売って裕福になる➡︎織っている姿を盗み見る➡︎そこには助けた鶴がいる➡︎姿を見られた鶴は去っていく、というのがあらすじです。
世界中に似たような話があるそうです、「禁止」の内容は「見るな」・「見せるな」が多いように思います。多くの場合「異類婚姻」で鶴の恩返しならば動物と人ですしそのほかでは神と人だったりします。
本来なら結婚できない異類同士が結婚するには、その境界を曖昧にすればいい。ということでどちらかの本来の姿をかくすことでそれを可能にする、しかし偶然か故意かにかかわらずそれが顕在化されるとハッキリとした境界線ができてしまい婚姻を継続することができなくなる。
理屈っぽく書くとこうなります。伊邪那美命も境界線を超えて黄泉の国に入ってしまったのに、いとしい伊邪那岐命が迎えに来たため戻りたい、でももう境界線を超えてしまった。
ではどうするか。
自分の黄泉の国での姿を隠して元の姿に見せて曖昧にしてしまえば境界線を越えることができるかもしれないと思い黄泉の国の神々と相談しているうちに、しびれをきらした伊邪那岐命がその境界線を超えてしまう。この瞬間伊邪那美命の正体が顕在化されてしまい二人の間に越えることのできない境界が確立してしまう。別の言い方をすれば伊邪那岐命はためされたのかもしれません。
話が大きく脱線してしまいましたので戻しますと、門の外で待っていた伊邪那岐命ですが待ちきれずに約束をやぶります。
故刺左之御美豆良湯津津間櫛之男柱一箇取闕 而燭一火
かれ左の御美豆良(み みづら)に刺したる湯津津間櫛(ゆつ つまくし)の男柱(おばしら)を一箇取り欠きひとつ火(ほ)を燭(ともし)たまいき。
美豆良(みづら)➡︎埴輪や昔の神様の漫画なんかに書かれているので形は皆さんよく知っておられると思いますが、両耳のところに縦に髷のように髪を束ねた髪形のことです。
湯津津間櫛(湯津爪櫛とも)➡︎神聖で清浄な櫛、歯の多い櫛の意。
男柱➡︎櫛の両端の太い部分
左の髪に刺していた櫛をとり男柱を折り取り火を灯しました。
ということは、黄泉の国は暗いもしくは真っ暗だと解釈できます。ここまでの原文で伊邪那岐命は地にもぐったとか上にあがったという表現はありませんし時間的に夜を示唆することもありません、ただ伊邪那美命と話してからかなりの時間が経ったことだけが書いてありますのでそれが一日の中の時間なのか何日も経っているのかも分かりません、ですから特段夜を意味するとは考えにくいので昼夜の別はわかりません。しかし黄泉の国に入るには火を燭さなければならないほど暗いことはわかります。このことで思いつくのは横穴の洞窟もしくは墳墓だということです。沖縄の亀甲墓(きっこうばか)を例に取るとわかりやすいかもしれません、亀甲墓そのものは十七世紀頃中国南部から伝わったものだそうですのでこの形がそのまま当てはまるわけではありませんが横穴のお墓のイメージが伝わりやすいと思います。
その暗い黄泉の国の中に入り男柱に灯した燈を頼りに進んでいくと・・(効果音が欲しい笑)
この先しばらくはホラー映画顔まけの表現がありますので嫌な方はとばしてください。
入見之時 宇士多加禮許呂呂岐弓【此十字以音】
於頭者大雷居 於胸者火雷居 於腹者黑雷居 於陰者拆雷居 於左手者若雷居 於右手者土雷居 於左足者鳴雷居 於右足者伏雷居 併八雷神成居
(少々長い文章ですので読みは省略させてもらいます)
入って見ると(伊邪那美命の遺体に)蛆がたかり(遺体は)転がされたままにされて、その頭のところに大雷(おおいかづち)が居り、胸には火雷(ほのいかづち)が居り、腹には黒雷(くろいかづち)が居り、陰には拆雷(さくいかづち)が居り、左手には若雷(わか いかづち)が居り、右手には土雷(つちいかづち)が居り、左足には鳴雷(なるいかづち)が居り、右足には伏雷(ふすいかづち)が居りて、併せて八人の雷神が成りました。
大・火・黒・拆・若・土・鳴・伏、の八人の雷 なんの脈絡もない名前です、強いて言えば頭の所にいる大雷はこの八人の元締め・親分だと思います、火は燃えているさまか黄色もしくは橙色、黒はそのまま黒色をさし、拆は裂で場所が陰となっていますので女性の外性器をさしているか皮膚が裂けているものだと考えられます、若は稚とおなじ意味でわかいですので新参者の雷か青または緑色をさしているもの、土は色とすれば土色ですし朽ちているとも考えられます、ここまでこじつけてきましたがわからないのが鳴と伏です、雷ですので鳴るのはいいのですが色にも形態にもあてはまりません、これは伏も同じで、「鳴っている」と「伏している」の状態と考えるしかないかもしれません。
なぜここで色にこだわったかと言いますと日本書紀には八つの色の雷となっていますのでなんとかこじつけられないかと思いましたが全部を当てはめることはできませんでした。
この色に関してはこの後にも少し触れてみたいと思います。
ここでまた偉い先生方に叱られるようなことを書きますが、さきほど黄泉の国の構造を沖縄の亀甲墓を引き合いに出して説明しました、この亀甲墓はご存知の方も多いのではないかと思いますがやたら大きいです、その理由は一族がみな入れるようにとのこともありますが火葬の風習がなかったことも理由だと思います。
火葬するには場所・燃料・手間が必要になりますのであまり行われなかったですし、土葬ですと今度は広い土地が必要になります。
ではどうしたかですが風葬です、世界でも結構行われている自然の中で自然に土に還す葬儀のしかたです、海岸や崖や洞窟などに放置し自然に朽ちさせるのです。
時間はかかりますが燃料も場所も要りません。生臭い経済効果よりも大事なのは宗教観ですが火葬したくても薪(木そのもの)がない土葬したくても土地がない(島)といった環境では宗教観も現実に歩み寄らなければ成り立たないのです。
もちろん沖縄の場合ニライカナイへ旅立たせるのが目的ですので重要なのは宗教観ですが、私の勝手な想像ですがこのような理由も一部にあるのではないかと考えます。
なぜこんなにも沖縄推しするかと言いますと原文での【宇士多加禮許呂呂岐弓】をどう理解するかと考えていたからです。
読みは「うじたかり ころろぎて」、意味は「蛆がたかり 転がされたまま」です。
字面だけ見れば悪意ある仕打ちに見えますが、これが黄泉の国を統べる神様に対する自然な扱いだとすれば、こうしておく理由があってのことで、それが風葬だと考えました。
先ほどの八雷神の色ですが色にこだわったのは、風葬ですと遺体の変化を目にする機会もあります、それは時間の経過にともない遺体上部の血の気の引いた青白さ、下部の死斑による暗赤色からさらに上部の黄変下部の緑変、腐敗が進んで黒変、腐敗ガスによる膨満
等々あまり詳しく書かない方が良いかとも思いますのでこのへんにします。人が見れば恐ろしいと思える変化を経てやがて骨になります。この変化を恐ろしい鬼に例えて(古代において雷=鬼です)表現したものと思い色にこだわったのと、この変化は伊邪那美命への正当な行為であって決してないがしろしたわけではないと思いたかったのです。
最後の二行が言いたいがために何ページ使ったことやら^^;
この先が思いやられます。
さてここから伊邪那岐命の黄泉の国からの決死の脱出行が始まります。
目くるめくスペクタクルをお楽しみください。(って映画か 突っ込まないでください)