伊邪那岐命と伊邪那美命が高天原で先輩神様たちに「漂える国を理を修固め成せ」と命じられて。この浮橋から天沼矛で海をかき回してその穂先から滴る塩が積み重なって島が出来た、というくだりがあります。
その橋の名は「天の浮橋」と言います。
よくこの橋を天上と下界を結ぶ橋と表現されますが、もしもつながっているならば二人はサッサと下界に降りてくればいいのであってなにもわざわざ途中で海をかき回すことはないのです。さらに結ぶものは柱であって橋ではありません。もしこれがつなぐものなら、このずっと後ですが天孫降臨の時に矛盾が生じます。もしただ浮いているだけの橋ではなくどこかとつながっているとしたならば、天上界を二層にして考えることが出来ます。たとえば古事記では天地開闢の際に高天原に現れし神というふうにいきなり高天原が登場してそれがどんなところかということは一切書いてありません。でもこの高天原を文字で分解すると「高」い「天」の「原」と分けられます、では高くない天の原はあるのかといえば「天の原ふりさけみれば遥かなる三笠山に出し月かも」とあるように天の原は一般的に使われる言葉で、大きな空、天空をさします そこに神様が住んでいたかどうかは別としてそれよりも高いところにある、より尊いところで
高天原が存在するとしたら矛盾は生じません。そしてこれは古事記ではなく日本書紀の記述ですがこの橋を「還り登る」と表現しているところがありますので還る先は高天原で天の原で下界を見て登り戻った、つまり下界まで降りてはいないで天の原で一望したと考えられます。浮橋の名のとおり浮いていなければなりませんのでこの橋は天上界と地上界を結ぶものではないと考えます。