(8)まだ頑張って神産みします
さきにお断りしておいた方がいいと思いここに書きますが、このあとしばらくはズラッと神様の名前が並ぶだけで面白くもなんともありません。
書く方も大変ですが、それを読まされる方も書く以上の苦痛かもしれませんので、この章の最後まで飛ばしていただいても、登場される神様には申し訳ありませんがそれでもいいかと思います。
ただこの「神産み」の最後にドラマがありますので、そこは読み落としのないように願います。
では国生みが終わり、次は神様を産んでいきます。
ただしこの段は、いろいろわかりにくいところがありまして、神様の頭数の実数と原文の表記と食い違いがありますし、本来なら手順として、美斗能麻具波比➡妊娠➡出産で生まれた神様を「生まれた又は生まれし」と表現し、それ以外で神様が現れた場合は「成る又は現れた」等と表現します。
この「神産み」にはその表現の不整合があります。写本の際の間違いなのか、なにか意図があることなのかはわかりませんが、「細かいことが気になるたちで」(右京さんのパクリ)。
出来ることなら1300年の時空を超えて太安万侶さんに聞いてみたいです。
安万侶さんにしても阿礼ちゃんが「言った通りに書いただけだからわかんないです」と言うかも知れませんけどね^^;.
名前に番号を振り順番と神様の数を表していきます。
①大事忍男神(オオゴトオシオノカミ)
②石土毘古神(イワツチビコノカミ)
③石巢比賣神(イワスヒメノカミ)
④大戸日別神(オオトヒワケノカミ)
⑤天之吹上男神(アメノフキアゲオノカミ)
⑥大屋毘古神(オオヤビコノカミ)
⑦風木津別之忍男神(カザモツワケノオシオノカミ)
⑧大綿津見神(オオワタツミノカミ) 海の神
⑨速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ) 港の神
⑩(妹)速秋津比賣神(ハヤアキツヒメノカミ)
【自大事忍男神至秋津比賣神并十神】➡大事忍男神より速秋津比賣神まで合わせて十人
⑪沫那芸神(アワナギノカミ)
⑫沫那美神(アワナミノカミ)
⑬那芸神(ツラナギノカミ)
⑭那美神(ツラナミノカミ)
⑮天之水分神(アメノミマクリノカミ)
⑯国之水分神(クニノミマクリノカミ)
⑰天之久比奢母智神(アメノクヒザモチノカミ)
⑱国之久比奢母智神(クニノクヒザモチノカミ)
【自沫那藝神至国之久比奢母智神并八神】
➡沫那芸神から国之久比奢母智神まで合わせて八人
⑲志那都比古神(シナツヒコノカミ) 風の神
⑳久久能智神(ククノチノカミ) 木の神
㉑大山津見神(オオヤマツミノカミ) 山の神
㉒鹿屋野比賣神(カヤノヒメノカミ)またの名を野椎神(ノズチノカミ) 野の神
➡【自志那都比古神至野椎幷四神】➡志那都比古神から野椎神まで合わせて四人
㉓天之狭土神(アメノサツチノカミ)
㉔国之狭土神(クニノサツチノカミ)
㉕天之狭霧神(アメノサギリノカミ)
㉖国之狭霧神(クニノサギリノカミ)
㉗天之闇戸神(アメノクラドノカミ)
㉘国之闇戸神(クニノクラドノカミ)
㉙大戸惑子神(オオトマトヒコノカミ)
㉚大戸惑女神(オオトマトヒメノカミ)
【自天之狹土神至大戸惑女神并八神也】➡天之狭土神から大戸惑女神まで合わせて八人
㉛鳥之石楠船神(トリノイワクスフネノカミ)またの名を天鳥船(アマノトリフネ)神の字無し
㉜大宜都比賣神(オオゲツヒメノカミ)
㉝火之夜芸速男神(ヒノヤゲハヤオノカミ) この神様三つの名前があります。
またの名を火之炫毘古神 (ヒノカガビコノカミ)またの名を火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)
ここまでは、美斗能麻具波比➡妊娠➡出産で生まれた神様で伊邪那岐命を父に伊邪那美命を母に持つ神様達です。
ですから神名の前かそのブロックの最初の神様に【生】と表記されています。
ここでとんでもない事件が起きます。最後に産まれた火之迦具土神が何を考えたか燃えながら産まれて来たのです。文字通り火の神様ですので燃えるのはしかたありませんが、もう少し待ってから燃えてもいいんじゃないかと思いますがとにかく火の付いたまま出て来てしまったので、たまらないのは伊邪那美命です「熱いなぁ」では済みません、なんせ一番敏感なところを焼かれたのですから。
ただ原文では下にある通りサラッと書いています。
【因生此子美蕃登見炙而病臥在】この子を産みしに因りて美蕃登(みほと御陰部)を炙かれそして病み臥したり。御隠部➡︎みほと➡︎女性の外性器(御は尊敬の接頭語)
伊邪那美命は寝付いてしまいました。それでも神様が出てきます。
【多具理邇生神名金山毘古神次金山毘賣神】多具理(たぐり)に生みし神の名は㉞金山毘古神(カナヤマビコノカミ)次に㉟金山毘賣神(カナヤマビメノカミ)。
「たぐり」は吐瀉物の意味で伊邪那美命が吐いた物の中から神様が二人出てきました。
汚いと顔をシカメたくなるのはわかりますがもう少し我慢してください、すぐに慣れますから^^;
【次於屎成神名波邇夜須毘古神次波邇夜須毘賣神】つぎに屎(くそ ウンコ)に成りし神の名は㊱波邇夜須毘古神(ハニヤスビコノカミ)つぎに㊲波邇夜須毘賣神(ハニヤスビメノカミ)。
【次於尿成神名彌都波能賣神 次和久産巢日神 此神之子謂豐宇氣毘賣神】つぎに尿(ゆまり オシッコ)から成りし神の名は㊳彌都波能賣神(ミツハノメノカミ)つぎに㊴和久産巢日神(ワクムスヒノカミ)此神之子謂(この神の子は)㊵豐宇氣毘賣神(トヨウケビメノカミ)と言います。
顔はまだシカメたままでしょうか、ここで慣れておかないとこの先受けるショックに耐えられませんので受け入れるようお願いします。(^O^)
【故伊邪那美神者因生火神遂神避坐也】かれ伊邪那美神者は、火の神生むに因りて神避(かむさり)ました。( 伊邪那美神は火の神を生んだことで亡くなってしまいました。)
【自天鳥船至豐宇氣毘賣神并八神】天鳥船から豊宇気毘賣神まで合わせて八人
【凡伊邪那岐伊邪那美二神共所生嶋壹拾肆嶋神參拾伍神】
およそ伊邪那岐・伊邪那美の二人で共に生んだ島は十四、神様は三十五人です。
【是伊邪那美神未神避以前所生唯意能碁呂嶋者非所生亦姪子與淡嶋不入子之例也】
これは 伊邪那美神がまだ亡くなる前に生んだものです。ただ淤能碁呂島は生んではいません、また蛭子と淡島は子供の列(たぐい)にはいれません。
【故爾伊邪那岐命詔之愛我那邇妹命乎 謂易子之一木乎 乃匍匐御枕方匍匐御足方而哭】
しかるゆえに(このように)伊邪那岐命が言われるには「愛しい我が妻の命をただ一人の子供に変えろと言うのか」と枕元に向かい這伏し、御足に向かい這伏して泣き叫びました。
【時於御淚所成神 坐香山之畝尾木本 名泣澤女神】(原文はこの上とつながっています)
そのとき涙の所に神成り、香山(かぐやま)の畝尾(うねお)の木の本(もと)に坐し(おわし)その名を㊶泣澤女神(ナキサワメノカミ)といいます。
少しわかりにくいのでもう少し解説します。伊邪那岐命が流した涙のところに神様が現れ香山の山すそのうねったところの木の下に居て、その名前を泣澤女神と言います。
畝尾という地名はありますがそれとは関係ないと思います。
【故 其所神避之伊邪那美神者 葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也】
亡くなった 伊邪那美神は出雲の国と伯伎の国(ほうきのくに)の境にある比婆之山に葬られました。
出雲の国(現 島根県)伯耆の国(現 広島県)の境にある比婆山(同名の山が現存しています)と地名が書いてありますがその何処かということまではわかっておりません。
興味がおありの方は探してみてください。きっと楽しいと思います。
神様って死ぬんだ・・・私の率直な感想です。神様って生死を超越している存在だと思っていました。他から見るとアホに見える感想ですが正直に言うと、ちょっと衝撃でした。
実際には黄泉(よみ)の国への引っ越しなんですが(表現が軽いなぁ)戻ることのない引っ越しですので、万一亡くなった人が生き返った時に使う言葉が「黄泉帰る(よみがえる)」です。これでどんな事かお分かり頂けるかと思います。
ですから伊邪那美命は黄泉の国に旅立ったと言う事で、そこへ行きさえすれば会うことができました。すなわち生きている神様・・・神様に生きているというのはおかしいですから、黄泉の国以外にいる神様はそこへ行けば黄泉の国にいる神様に会う事ができたのです。ある事件が起きるまでは・・・(伏線です)
この章の初めにお話ししました神様の頭数が合わないことに気が付きましたでしょうか
この章で「生まれた」または「成った」という神様は、番号がふってあるとおり四十一人です
途中での記述を抜き出しますと下のように書いてありました。
【凡伊邪那岐伊邪那美二神共所生嶋壹拾肆嶋神參拾伍神】
およそ伊邪那岐・伊邪那美の二人で共に生んだ島は十四、神様は三十五人です。
この「凡そ(およそ)は話の概要であって数字に対しての「約」の意ではありません、したがって上記の数字は言い切っているものだと言えます。
「共に生んだ」ということは“美斗能麻具波比➡︎妊娠➡︎出産“の手順をふんだものですので、この手順で生まれた神様は㉝火之迦具土神までです。
しかし不思議なことに伊邪那美命が火傷で伏して、その「多具理」(吐瀉物)から現れた神様(手順外)二人にも「生まれた」と表現しています。
そしてこの二人を入れるとちょうど三十五になるのです。
解釈を少し拡大して伊邪那美命が生きている間に生まれた神とすると「屎」と「尿」から現れた四人は数に入ってないことになりますし、この神様たちは「生まれし」ではなく「成った」と表現されていますのでハッキリと手順外で現れて数の外とわかります。
しかも原文では「生きている間に生まれた」とは一言も書いてありませんしそれを示唆することもありません。
また、考えようによっては伊邪那美命が亡くなった後で残された「屎」と「尿」から現れたのかも知れませんが【二神所共生】(二人で共に生んだ)の意からして「多具理」から現れた二神も数に入れるのは適切ではないと思います。
ですから阿礼ちゃんの記憶違いか、安麻呂君の書き間違いか、大須観音の賢瑜さんの写し間違いか、はたまた何らかのフカ〜〜〜イ意図が有って途中の二人を消してしまったか^^;分かりません、なんせ「細かい事が気になるもんで」・・・困った性格です。
このような不整合があるためでしょうか古事記そのものが偽書であるとも言われています。